クララさんとムード。
ゲストハウスの管理人、クララさんの、ある日のお掃除。
さて、いつものように掃除用具を引っ提げて、長期滞在中のお客様のお部屋にやってきたクララさん。
お昼間は、清掃サービスを申し込まれているお客様のお部屋を順繰りに回っていくクリーニングタイム。
これからお伺いするお部屋は、タイから長期滞在中のお客様が宿泊中だ。
基本的にノックはしない。
『ガチャリ』
といってドアを開けて、目の前に飛び込んできたのはカップルのお客様が、おでこをくっつけあっているシーン。
『アー』
とクララさんは心の中で呟いて察した。
しかし驚くことに、クララさんがドアを開けて、その場でフリーズしてから3秒ほど、全くこちらを気にする気配がないのである。さすがは日本離れしたお客様!
「あーいう時って一番困るんですよねー……」
と、のちにクララさんは苦笑いして話してくれた。
「I`m sorry---...(失礼しましたー…)」
とクララさんはドアを戻そうとするが……、
男の方のお客様が、すぐにこちらを振り向いて、
「Don`t worry!(気にしないで!)」
と、軽くウインクしてくれる。とてもファンキーなお人である。
『I`m concerned……(気にします……)』
と、言いたくなりますね、とクララさん。
「で、どうしたんですか?」
クララさんもファンキーなお人だった。
「そんなの__」
右手の親指を気前よく立てて、
『Take your time!(ごゆっくり!)』
しかないじゃないですか。
というクララさんである。
__あなたすごい。
あ、もちろん、そのお部屋はその日の最後に回って、きちんとお掃除させていただきました。
お昼間から変なことはしないお客様ですが、その日は二人、ゆっくりロマンチックに過ごされたかったようですね。ちょっと恋しくなりました。
と、クララさんの後日談である。
「ムード、大切にされていますか?」
とクララさんは聞いてくる。
「ムード、ですか?」
「普段から大切な人と心地よいムードを意識的に、そして無意識で、それが当たり前のように作れるようじゃなければ、いざって時に素敵な雰囲気は作れませんよ」
「そんなことを言われましても……」
「とりあえず……」
とクララさんは、スマホをいじっていくつかの映画の紹介ページを見せてくれた。
これくらいは見て、勉強してください。
「出会いはどうしたらできるでしょうか?」
クララさんは、少し考えてから___
皆さんお馴染み、アマゾンのページを出してくれた。
『僕は愛を証明しようと思う。(藤沢数希著)』
なんか違う!!!
(※この物語は実在の場所と施設と関わる人々を元にしたフィクションです。)
気まずいお話。
さて、ゲストハウスとホテルとの違いにはいろいろとあるが、確たる違いは客層の違いである。
とにかく海外のお客様が多い。
8,9割は外国からのお客様だ。
『つまり宿泊されるお客様には日本にいながらリアルに英会話の勉強をご提供できる、という訳です』
『マジですが……』
『嘘です』
『なるほど。ずっと泊りづけで一気にアメリカ留学とか?』
『宿泊費はずっと頂きますので、結果的にはさっさと海外に行かれたほうがいいですね』
『それができないから、英会話に行くのでは……?』
『いつになったら日本を立つのでしょうか?』
という感じで、英語を話されるお客様も多い。国籍は多種多様であるが、一番多いのはアジア圏のお客様である。
ゲストハウスには、長期滞在をされるお客様もいる。そういうお客様へのサービスとして、中間清掃を提供している。
通常なら、お客様は当然、荷物を置いて観光に出かけられているものではあるが、時間外構わずお部屋に居られる方もいる。
『気にせずやってくれていいよ!』
なんて言って下さるが、清掃する側は気になるというものである。
「そうですね、例えば……」
といってクララさんは、過ぎ去ったあの頃の記憶を懐かしむように話してくれた。
このお話はまた別のページでお話ししよう。
(※この物語は実在の場所と施設と関わる人々を元にしたフィクションです。)
京都三条ゲストハウス夏。墓参りツアー中編。
「ビビッてないし!!!」
玄馬君は主張した。
囃しているのは明奈ちゃんである。
裏口から我さきへと飛び出して、墓地へと続く石道を歩きながらズッコケた。石道の幾つかはツルリと滑りやすいのである。完璧に忘れていた。
「あんたにもあんなかわいい声が出せるのね」
とても嬉しそうである。
「ほら、それくらいにしていくよ。あんまり騒ぐと迷惑だから」
そう言って賢一君は玄馬君の背中を押していく。お、押すなって……、と若干慌てている玄馬君である。
「そうね。ご近所様にも、幽霊さんにも」
浅山さんは澄ましている。
「礼、余計な事、言わなくていいから」
早瀬さんは毒づいた。礼というのは浅山さんの下の名前である。
『前途多難だ……』クララさんは暗闇に向かって心の中で呟いた。
一行はまもなく墓地の入り口に入っていく。
ちなみにその先を通り抜けると、神社境内の横手に出られる。つまりはゴールだ。みんな通り抜けて往復する気満々である。通り抜け料の賽銭を払わねばいけないのだから。
「墓地って言っても大したことねぇな。ただの墓じゃん」
玄馬君は余裕を見せている、……が、
「さっきまっさきに悲鳴を上げたのはどいつかしらね~」
と明奈ちゃんは言った。皆、言うと思ったので、もはや反応は早い。
「そういえば、クララさんの奥さんってどんな人なんですか?」
颯爽と横槍を入れたのは早瀬さんだった。
「なんだい、いきなり……」
もうちょっと他に話題あったろう……、とクララさんは早瀬さんを横目で見た。
早瀬さんは悪げの全くない瞳で見つめている。どうですか、このファインプレー! と言いたげな様子である。
「私もそれ気になります」浅山さんが同調する。
「あ、それ、俺もー」玄馬君が続いた。
「賢一君は知ってるんだっけ?」
早瀬さんに賢一君がうなづいた。
「うん。綺麗な人だよ。週1くらいで滋賀から京都に来るから、時々あったりしてる。多分クララさんよりしっかりしてる」
「尻に敷かれてるってことか」玄馬君が茶化したように言った。
「あんたもそのタイプよね」
明奈ちゃんがさっそく毒づいた。
「俺は、引っ張っていくぞ。好き勝手させない」
「亭主関白ってことね。玄馬サイテー」
そうか、こうして二人の喧嘩はエンドレスに続いていくのか……。
クララさんは早々と見抜いた。
「話したことはあるの?」
早瀬さんが聞いた。
「優しいし、元気な人だね。クララさんと一緒に清掃の仕事を手伝ってることも多いけど、受験勉強中に手作りのお菓子差し入れてもらった時はおいしかったなー」
「早々と胃袋を掴まれたのね」
浅山さんがまた冷静に突っ込んだ。
「……。実際はかどったのでそうとも言える……」
賢一君は笑って言った。
「ということだ、美緒。得意分野だろうし頑張れ」
早瀬さんの下の名前は美緒である。浅山さんはナイスフォローをした。多分。
「ってなんでそうなるのよ!」
こうして一同は一向に静かになることをせずに、墓の中ほどを越えて楽しく進んでいった。会話に幽霊の入る隙がない。
クララさんは妻のことを考えながら、何事もなく終わりますように、と夜空を見上げた。
今夜の三条はあったかい。夏だから当たり前か。この後ちょっとは冷えるかもしれない。
(※この物語は実在の場所と施設と関わる人々を元にしたフィクションです。)
車はないが足はある。三条のゲストハウスを、今日もクララさんは渡り歩く。
車はないが、足はある!
クララさんが京都に来てから何かと大変なことの一つに、車がないことがある。
滋賀の頃には車は当然のようにあったが、京都に来てからは、車で移動が叶わない。
月極駐車場が高いのだ!
琵琶湖を眺めながら車を走らせていたあの頃が懐かしい。
売り上げを伸ばさないことにはなかなか所有することができない。独立直後あるあるだ。あるあるは勝手に言っているだけだけれど。
実は自転車も持っていない。だから通勤は徒歩だ。とても健康に良い。いや、そういう問題ではない。でも健康には良い。
大雨か大雪でも降らないだろうか。そしてゲストハウスに泊まって雨宿りしてくれれば売り上げも上がるのに。
なんて馬鹿なことを考えたりもする。そんなクララさんに向かって槍が降ってきそうである。そんなこの頃。
通勤は片道1時間圏内。自分の住んでいるゲストハウスだけが仕事圏内ではない。というかそれでは仕事にならない。
電車やバイク、自転車での移動が普通なこの京都三条の街で、徒歩なんて。
「慣れては来ましたけど、心は未だに慣れないです。考えたこともなかったので。というか、流石にしんどくなってきました。ゲストハウス間の移動なんですが、時間決められてるので、悠々とやってもいられないんですよね。まあ当たり前なんですけど」
クララさんは笑って言った。いつも通り元気はあるが、疲れているといえば疲れている。
「今は単身赴任なので、妻ともいつでも会えるって訳ではないんですよね」
ただ、ちょくちょくラインやビデオ電話でやり取りしているそうだ。ITがもたらした時代の名器には感謝しているようで。
「スマホ様様です」
とのこと。
そのうち3D通信機なんか出来たら、クララさんはきっと大喜びだ。その頃にはもっと稼いでいるに違いない。では特に大喜びもしないのか。
なにはともあれ、クララさんは、今日も三条の街を歩いていく。その背中に映るのは、この道で生きるという確固たる覚悟の文字。なんかかっこいいぞ。
(※この物語は実在の場所と施設と関わる人々を元にしたフィクションです。)
目につくところを綺麗にすることが重要なんです。
「気をつけてお帰り下さい。またのご利用お待ちしております!」
昨夜から二泊三日、京都観光に来ていたお客様がお帰りになった。
「楽しんで頂けたようで良かったです」
クララさんはそういうと、掃除用具一式をもって、ご利用されていたお部屋へと向かう。
「掃除をする際に気を付けていること?」
掃除を終えて一段落したところのクララさんに聞いたことがある。
「そうですね……。細かいところまで隅々と、というのは勿論ありますし、要所要所で力を入れたりする部分などありますが」
「なんだかんだ、人が見ているところって、それほど多くないんですよね」
クララさんはそう言って、一つ溜めてから続けた。
「あえて一言で言うなら、光りモノは光らせろ、ですね」
光りモノは、光らせろ、分かるようで、なんだかわからない。
クララさんは、先ほど退出されたお客様のお部屋に入っていった。
「ホテルやゲストハウスを清掃するうえで大切なことなんですが、蛇口、シャワー、鏡、こういったところは、お客様がよく使うところ、つまりはお客様の目につきやすいところなんです」
そういいながら、洗面台など、水回りの清掃。汚れを拭き取り、磨く。特に蛇口など、明りを反射しながらも、その光の鈍いものについては念入りに磨いていく。徐々に光沢を出し始め、ピカピカになり始めた。
一つ一つを丁寧に仕上げていく。ゴミの確認やら、掃除機などは勿論のことだ。
「だから、そういったところをピカピカにしていれば、この部屋は綺麗だ、という感覚にも繋がります」
なるほど、シンプルでうなづける。
一通りの清掃が終わったと思ったところで、クララさんはタオルとガムテープを取り出した。
「加えて大切、というか当たり前ですが、髪の毛などが落ちていないこと。自宅だと気にしない人も多いでしょうが」
ま、自宅だろうと、ゲストハウスだろうと、関係ないですけどね。と、クララさんはつぶやきながら床を拭き上げていく。
「髪の毛など、細かいものを見つけたら、このガムテープで……、こんな感じに拾っていく」
フローリングが白っぽいと、黒い髪の毛って目立つんですよー、とクララさんは、吹き上げながら言った。
ちょっと楽しそうなクララさんである。ちなみに部屋にはlecccaさんの曲が流れている。
全ての清掃を終えた部屋は、またいつでも誰かが気持ちよく利用できるお部屋に戻っていた。光りモノは光っている。
「ね、光りモノは、光らせるべきなんですよ。お部屋を綺麗にした前提ですけど」
そういって、クララさんは、肩に着いた埃を取ってくれた。
「今日家に帰ったら確認してみます」
「ついでに全部掃除しちゃってください」
クララさんはそう言って、スマホのカメラを起動して、報告用の写真を撮った。いい写真だ。
(※この物語は実在の場所と施設と関わる人々を元にしたフィクションです。)
肝試しと墓参りは節度を持って。京の夏のゲストハウス前編。
たまには肝試しも一興ですよね。
これは受験生の賢一君が夏真っ盛り、勉強の気晴らしにいっちょ肝試ししてみようぜ! となって、友人たちを引き連れて、ゲストハウスにやってきたときのお話である。
「確かにうちの裏手にはお墓があるけど、本気かい? バチが当たって落ちてもしらないよ」
クララさんは諫めるようにいった。
「若気の至りと思って見逃してあげてください」
賢一君はバツが悪そうな顔で言った。
「まあ、あとで神社の賽銭箱に使用料でも入れといてあげて」
クララさんは軽く笑いながら、ゲストハウスの裏手にある、神社へと続く通路へ、賢一君たちを案内していった。
今回の神社肝試しへ挑戦するのは賢一君入れた5名の面々。
「それにしても、軽いバケーションよね。賢一君、なんかうらやましい」
その中でも快活そうな女の子が楽しそうに言った。明奈ちゃん。
「いつまでそんなこといってられるか見ものだな」
余裕たっぷりに笑いながら言ったのが、隣の男子。玄馬君。
もういっぺん言ってみなさい、と早くも目つきが鋭くなる明奈ちゃん。
「あの二人はいつもあんな感じなの?」
クララさんは微笑ましく見守っていた。
「すいません、夜遅くにお邪魔して。ご迷惑じゃなかったですか?」
対照的に、申し訳なさそうに挨拶してくれたのが、礼儀正しそうな女の子。早瀬さん。
「大丈夫やで。夜遅いのは賢一君で慣れとる」
「賢一君もやんちゃね」
「分かってていうんだもんな、早瀬さん。意地悪い」
「でも、裏手が、お墓につながっているって、お客さん、大丈夫なんですか?」
このゲストハウスの裏手には、神社があり、その神社の敷地内に、お墓があるのである。つまり、ゲストハウスの経営的には、普通は、マイナスイメージだろう。
現に何かが通った的な話は、よく聞く。主にクララさんから。(あれ?)
冷静な質問をしてくれているのは、浅山さん。ちなみにクララさんから見て一番頭が良さそうな印象の女の子である。この子がいるなら多分大丈夫だろう。何が大丈夫なのかはわからないけれど。
「うーん。まあGolden Trees名物裏手のお墓さん、やね。肝が冷えて涼しいで」
「それ、冬だとどうなるんですか」
「寒くて怖い人たちは冬眠やね」
「既に眠ってると思うんですが……」
「浅山ちゃん、そこは細かく気にするとこやないで。無暗にこわがらんと、楽しめばええんや。もうちょい大きくなったら、彼氏でも連れて使ってくれな。冬は二人であったかく、夏は肝冷やして二人の関係を進めておくれ」
「考えときます……」
そうして話しているうちに、通路突き当り、ゲストハウスの裏手、神社の墓地に続く扉の前までやってきた。
「まあ、これといって危ないこともないやろうけど、整地された場所でもないし、そもそも肝試しって目的が、なんだかんだ、お墓に対してよろしくはないだろうから、きちんと敬意を払って。そしてお互いに固まって歩くように。こういう時間やからね。静かに楽しむように」
それじゃ開けるで。そういって、クララさんは扉の鍵を開けた。
そうして元気よく飛び出していったのは玄馬くんである。
「よっしゃ、誰が一番に腰ぬかすか愉しみやわ」
クララさんはなんだか心配になった。
気を取り直して、扉の鍵を閉めた。
「すいません。よろしくお願いします」
賢一君が改めてそう言った。
「育ち盛りやからね。元気なのはいいことや」
おおらかなクララさんに呼応するように、ゲストハウスの夜はゆったりと更けていく。
京都三条、真夏の墓参り兼肝試しはこうして始まった。誰の墓参りかは不明である。
ちなみに大方の方が予想される通り、真っ先に甲高い声を上げたのは玄馬君である。
(※この物語は実在の場所と施設と関わる人々を元にしたフィクションです。)
敏感な火災報知器に呼ばれたクララさん。
火災報知器の話。
クララさんの部屋にも聞こえる大きさで、火災報知器の甲高い音が響いた。
クララさんは慌てずに、
「誰かやっちゃいましたかね」
と言って、足早にエレベーターのスイッチを押した。音は2階から響いていた。
「もともと、僕が管理人をやるきっかけとなったひとつなんです。これは」
エレベーターを降りて通路に目を向けると、お部屋の住人らしき人が、ドアを半開きにして部屋から出てきているところだった。
「ああ、すいません。クララさん。やっちゃいました」
申し訳なさそうにクララさんに頭を下げている。
「大丈夫ですよ、春山さん。前も言った通り、敏感な子なんで」
そう言うと、クララさんは、早速部屋の中に入り、慣れた動作で、部屋の中で甲高く鳴いている報知器を止めた。まもなく部屋の中にはいつもの静けさが戻ってきた。
春山さんも一安心した様子である。
「お湯を沸かしていたら、つい……」
春山さんは呟いた。
「まあ、やっちゃいますよね。そのために僕がいるようなもんなんで。引き続き、ゆっくりご飯にしてください」
「はい。ありがとうございました」
ひと段落して、部屋に戻りながら、クララさんは言った。
「ここのオーナーの入江さん。僕の友人なんですけど、もともと、ここの火災報知器を持て余していたそうなんです。ちょっとした湯気でさえ感知してしまって、ある時には、消防や警察も繰り出す事態になったとか」
火災報知器自体はもうすぐ取り替えられるそうだが、クララさんがこちらの管理を頼まれるきっかけになった理由のひとつだそうだ。
というか、頼まれたクララさんも、油断して鳴らしてしまったことがあるらいい。
「いやあ……、面目無い」
注意喚起はしていても、それで気分を害されるお客様も多少なりいたそうで。
しかし、そこはクララさんの持ち前の人間性で、最後はご満足頂いたというお話もあったらしい。
「でもまあ、これだけしっかりと危機を察知してくれれば、管理する方もひと安心です」
ものは考えようだった。
(※この物語は実在の場所と施設と関わる人々を元にしたフィクションです。)